(再読)マルドゥック・ヴェロシティ/冲方丁

5月1日から3日に掛けては好きな小説を読んで過ごしていました。マルドゥック・スクランブルという最近劇場版アニメが再び決まった作品とそれの後編であるマルドゥック・ヴェロシティで、文庫にして計6冊を再読しておりました。

マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

この小説はサイバーパンク系のSFです。そこら中にSFらしいガジェットが散りばめられていて非常に分かりやすいSFでしょう。大きな魅力はその戦闘描写とキャラから強烈に臭う個性の2つ。特に前作スクランブルにおいて理念と本能、妄念がどろどろに詰め込まれた化物、圧倒的な最強のラスボスであったボイルドが、主人公の役に抜擢されている後編のヴェロシティが凄い。この後編ではボイルドがなぜこのような化物に成長してしまったのかがよくわかるほどに凄まじい展開と描写をみせてくれ、そのドラマに心躍らされることは間違いないのではないでしょうか。単純に癖が強いだけだったら飽きて放り出してしまうところではありますが、その後半の地獄への超特急っぷりが気分をどん底に落とし一種の爽快感さえ催し一気に読破へと繋がります。


おおまかなストーリィは―――
戦争体験により身体障害を負い、機械化をすることで五体を保っているボイルドらは、やがて戦争終結の飛び火により国家にとって危険な存在として認識されることになる。国家は不要な証拠を隠滅するために自軍によって自軍であるボイルドらを襲撃するが、交渉の末に、国家に奉仕できるのならば生存権をボイルドらに与えることを約束する。彼らは生きるために兵器と化した身体であれ社会に貢献できることを証明するために自身を社会へ奉じる。そんな彼らに待っていたのは、彼らを餌としか見ない残酷で強欲で悪徳に塗れた合理的な都市の姿だった。やがて一人ずつ都市の供物として捧げられていく仲間たち、そしてその中心にいるボイルドの選択は―――こんなのです。


主人公ボイルドとその仲間たちの社会的奉仕法は、事件屋といういわば用心棒みたいな労働です。弱者がマフィアなどを訴えると判決が出る前に殺されて事件が圧殺されることがあります。原告がいなくては裁判は続かないのです。そのような暴力的解決を防ぎ、適切な法的解決を望む一部のインテリが、マフィアと同種だけど力は象と犬ほどの差ほどもある最先端軍事集団をボディーガードとして任命するわけです。そうして巨悪を血に汚れた力によって討ち滅ぼす、ただし失敗したら軍事兵器としての肉体をもった彼らは”廃棄”されてしまうのですが……。平和な時代のためには兵器の平和的社会を構成するための有用性を常に提示し続けなければならない。そんなディストピアな雰囲気もあります。
この正義の味方ごっこは中盤まではうなぎ登りで成功します。軍で最先端な兵器化の実験を受けた彼らは、ピストルやマシンガンしか持ってないチンピラに負けるはずはありません。圧倒的な殲滅力でマフィアをぶちこわしていく。


しかし、中盤から、マフィアとそれに繋がる社会構造が本来の力を発揮しはじめる。マフィアは単独で悪行を行ってるわけじゃない。マフィアは企業と繋がっているし、企業は政治家と仲良し。政治家は警察の飼い主でもある。悪が善と間接的に手を繋いでるのが、欲にまみれた過剰な資本主義社会の象徴であるマルドゥック・シティの本来の姿です。倫理や正義は、利益という鋼の糸で繋がった社会を断ち切ることはできない。そのような絶望的な都市で正義を執行しようとする道化的な彼ら超能力的集団は一人ずつ食われていきます。


その前半のどん底からの大成功をひっくり返したような展開は、見事なほどに逆V字。廃棄された兵器人間が一躍ヒーローになったと思ったら、敵側の機械化人間に襲われ続ける。身体は半分機械であるものの人間としての理性を持ち続けてきたボイルドたちと違い、精神が混濁している壊れた兵器人間の前には流石にボイルドたちも苦戦する。
それだけだったらいいものの、敵の親玉が実は依頼主であったり、敵側機械化集団が実はボイルドたちの製作者によって作られた別ラインの製作物だったりして、結局味方と思っていたものがみんな実は……。
仲間の命一つを代償に味方だと思っていた人間が敵だと知る。それが延々と続いていくボイルドの孤独はいかなるものか。社会的な人間としてしか生存権を認められないボイルド。社会に従えば食われ続けるし、社会から外れようとすれば合法的に廃棄される。どうしようもない泥沼では、どうしようもない決断をするしかない。それがボイルドの運命に貫く基調です。
この心境の流れが爆発的なカタルシスを産みます。仲間を誤爆によって焼殺してしまった苦悩のあまり、死の寸前までいったボイルドが一匹のネズミとの友情に人間性を再び獲得する。その人間性はこの社会という敵と戦うたびにまた奪われていくのです。その得たものを奪われる過程はヴェロシティというだけあって、段々と物語が加速していくように、ただし明らかに悪い方向に加速していくというのが何とも言えない爽快感のある重苦しい快感を与えてくれるんでしょうね。
つまり、一言で言えば、勢いよくゲロを吐くような爽快感です。


燃焼されていく命を見るのも楽しいですが、その世界設定の練り込みも素晴らしいです。企業界、法曹界、警察、裏社会、都市、それらの利害関係者に自身の有用性を証明するために事件屋となった彼らは、結局はこの関係者のそれぞれの思惑の餌食になり群れた鮫に襲われたように瀕死に追い込まれていくわけですが、この欲に忠実な一般人たちは単独では全く力がないことがよい。しかし、組織を組めばやはり地球で最も影響力がある存在である人間だということがわかる。数と知と金には敵わないのですね。


仮初めに与えられたもの利子付きでひたすらに奪われ続けるストーリィと言えば胸くそ悪いなぁと思うかもしれませんが、読んで損はないと思います。ひたすらに自身たちを神へ捧げられる「羊じゃない」と訴え続ける様には、感傷を抱いてしまうのではないでしょうか。そんなパワーとブラックな感情が詰まった名作である本書。是非みなさんに読んでいただきたいです。そして皆殺しエンド好きになってほしいです。