虐殺器官

虐殺器官 / 伊藤計劃

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官』は、去年あたりから伝説と化してしまった印象を受けます。作者が34歳という若さで早世したこと、その短い作家期間で発表された作品の品質が極めて高いためにゼロ年代SFを牽引する作家として注目されていたこと。この2つの相乗結果でしょう。
こういうビッグタイトルを読むのは敬遠しがちなのですが、いい加減に読んでみようと思い切ってみました。


■あらすじ
紛争、特に大規模な虐殺を伴う紛争が頻発していた。サラエボ紛争における核使用は世界中に拡がり、今や各地で核が使われ、死者数は厖大な数に上っていた。9.11後、テロリズムへの過剰反応が起きていたアメリカでは、厳格なセキュリティ管理体制を強き、更には暗殺すらも含む紛争制圧を行う。暗殺部隊であるアメリカ情報軍のクラヴィス・シェパード大尉は、全てが謎に包まれた人物ジョン・ポールの暗殺命令を受ける。だが、世界中に徹底的な情報管理を強制したアメリカの情報網さえ持ってしても対応は常に後手にまわり、任務は幾度も失敗を重ねる。取り逃したジョン・ポールの跡には虐殺による死体の山だけが残っていた。ジョン・ポールと虐殺、その繋がりとは…。


■リアリティ志向の密度ある世界
本作品は近未来SF、特に現実の延長線上を描いたSF作品です。舞台設定は、9.11後にアメリカがテロに対する恐怖からあらゆる情報を管理し、また紛争に対する過剰反応として暗殺すらも認めた世界です。このような舞台設定だけでなく、あらゆるところで現実の世界と意識的にリンクさせていることが伝わってきます。そして、現実の世界との相違点がかえって現実の世界を浮き彫りにする。異世界、未来を描くことで現実世界を描く。どの小説もこういった特徴は少なからず持っているものです。しかし、本書はこの点にこそ渾身の力が込められている、だからこそ社会派SFと言われるのでしょう。物語を比喩として現実を見ろ、ただフィクションとして読んで終わるな、と作者が訴えかけていることが伝わってくる作品です。


■物語の精緻さ
この“空想”の世界は幻想的な掴みどころのないおとぎ話ではありません。該博な知識と綿密に編まれた想像を背景とした語りは物語に実体を持たせます。その構築物の精巧さにある種の感動さえありました。さらにただ精巧なだけでなく、野性的な熱情も発しているのです。結果、初めから終わりまで噛み応えがあり、少しも飽きがなく一夜で読み明かしてしまいました。この物語を書くためにどれだけの数の資料を漁ったのか。苦労が偲ばれます。それだけ思いが込められた作品なのでしょう。ただただ、その圧倒的な密度を有する物語が読めたことに感謝の念を抱いてしまいます。


■変容する人格
主人公のナイーブさ、それが本作品の印象に残る重要な点です。この点に関して、巻末の解説に作者の発言がありますので引用します。


「一人称で戦争を描く、主人公は成熟していない、成熟が不可能なテクノロジーがあるから」というのは最初から決めていました。ある種のテクノロジーによって、戦場という、それこそ身も蓋もない圧倒的な現実のさなかに会ってもなお成熟することが封じられ、それをナイーブな一人称で描くというコンセプトです。


この世界では、意識は正常なまま感情を麻痺させる技術が確立しています。おかげで主人公は暗殺に抵抗を持ちません。仕事だからと割り切ってしまう。一応、主人公は、生物殺傷の必然性と人間が殺人すらも労働の範疇に取り込んだことを繋げて暗殺軍務を割り切る根拠としています。しかし主人公は意識下では明らかに割り切っていない。結局、理屈を編み出したに過ぎなく、精神の内奥からわき出た実感を纏った理解ではないのです。感情の隆起を抑制された主人公には罪と罰という普遍的な思索を放棄させられています。人格が薫陶される機会を奪われた主人公は最初から最後までナイーブ、言い換えれば幼稚であり続けるのです。技術に変容させられる人格。放棄された罪と罰。作者に投げかけられたこの倫理的な問題は印象に残ります。


■自由と束縛
この作品には、数々の情報技術が登場します。あらゆるところに高度な情報技術が入り込んで、まさに最先端な様相が表現されていて見事です。しかし、この世界には自由はやせ細っているのです。
ある人物は言います。自由とは純粋に絶対的に存在するものではなく、切り売りできる物体的なものだ。無限にあるものでもなく、何かと交換できないものでもない。労働が時間を金銭を交換するための交換ツールであるのと同様なのだ。その自由を国家に切り売りすることで、あなたたちは犯罪とテロから身を守られている。だが代償として自由が取り立てられていることを意識しなければならない。
この言説はその自由が私たちの現実世界よりも遥かに削られた世界であるからこそ、いきいきとした説得力を持つのでしょう。でもそれは、物語の中だけで語られるフィクションではありません。これは現実の世界でも同様に当て嵌まることです。この原則を意識することなく多くの人は情報を搾取されることを認めていますが、それがどのような犠牲のもとにあるのか。そのような情報リテラシーを持とうとしない人々に作者は憤りさえ感じていたのではないでしょうか。それほどに作品全体にこのテーマについて描かれているのです。


■闘病生活の中で書き上げられた作品
本書の作者、伊藤計劃は癌と闘っていました。デビューする数年前から癌にかかり、体が欠損し、苦しみ抜きながら手術を受けていました。その生活のなかで抗癌剤の副作用が切れた一切れの時間を使ってこの作品は書かれています。
余命が視界に入るほど間近に迫ってきていたことは自覚していたでしょう。そのせいか限りなく繊細な描写が目立つ文体です。柔らかく美しく描かれている世界は死体と血にまみれた残酷な世界でもあります。この美意識は伊藤の死に対する思いが現れていると感じました。それでもただ悲嘆と哀切をぶつけるだけなのではなく、現実と限りなく接した社会を描いていることからは生に対する渇望が読み取ってしまいました。そんなコントラストが目立つのは死と生を揺れ動きながら書き上げられたからでしょうか。独特な雰囲気をもった、希有な作品だと思います。