クリムゾンの迷宮

クリムゾンの迷宮 / 貴志祐介

新世界より』『青い炎』『黒い家』で有名な作家の貴志祐介による、バトルロワイヤル系ホラー小説『クリムゾンの迷宮』を読みました。
いやー、本当に面白かったです。ホラーのようなサスペンスのような話で、人が死んだり戦ったり襲われたりします。お約束として主人公は死なないとは予想できるものの怖くなってしまうのは毎度不思議ですが、いつのまにかそう感じてしまうのだから仕方ない。恐怖のような好奇心のような気持ちが拍車をかけて400頁くらいある文庫本を一日で一気に読み終わらせてしまいました。この読者の気持ちを揺さ振りながら掴んで離さない力が凄まじいのです。一度途中まで読んでしまったらもう止まりません。先が気になって仕方ない!
今の私の気持ちとしては傑作です。今年読んだものの中で特に上位に入りますね。そんなわけで紹介。


■あらすじ
あらすじは以下の通り。

藤木芳彦は、この世とは思えない異様な光景のなかで目覚めた。視界一面を、深紅色に塗れ光る奇岩の連なりが覆っている。ここはどこなんだ?傍らに置かれた携帯用ゲーム機が、メッセージを映し出す。「火星の迷宮へようこそ。ゲームは開始された……」それは血で血を洗う凄惨なゼロサム・ゲームの始まりだった。
//裏表紙より


主人公・藤木芳彦はバブル崩壊後に職を失いホームレス経験もある元証券マン。全編を通してこの藤木の一人称視点から話が語られます。登場人物は藤木含め9人(男7人女2人)。藤木以外の人物も藤木同様に訳も分からずこのゲームに参加しているという共通性はあるものの、協調性を持った人物はごく僅か。どこか陰りを見せる会話が先に待つ決定的な場面を想起させます。藤木の味方側もいるにはいますが、当然ながら完全に信用はできません。いつか裏切るのではと思わせる行動を所々で起こし、それが緊張感を維持させます。


このゲームのルールは何か。途中で仄めかされるまでは分かりません。それまでは勝利条件も分からないし、何が目的なのかも分かりません。ただ謎に包まれています。だから、現実的な保身の気はあるものの排他的でない善良側の藤木はチームプレーの望みを捨てません。あるきっかけからパートナーとなった人物も謎はあるものの善良側に属し、藤木と共に他人を蹴落とし過ぎない勝利を目指します。


この善良側だからって利他的じゃないところがいいですね。違和感を覚えることはない善良さです。どっちかっていうとチームプレーが結果的に有利な展開を導くことを知った上での打算的な善良さですから。主人公らしいといえば主人公らしい。


このチームプレーが有利か不利かという問いは繰り返し問われます。勝利報酬が有限で勝利者の数によって報酬の量が変わる場合、つまりゼロサムゲームです。ゼロサムゲームだったら他人を排除する必要がある。だがしかし。ルールが分からないので具体的にどこまで”排除”する必要があるのか。という感じでですね。
しかし、ある場面でゲームルールが明確になります。ルールは単純極まりません。バトルロワイヤルものだと聞けばわかるでしょう。その場面を過ぎれば先に待つエンディングはもう特定でき、藤木たちの行動も何をすればいいか分かります。それは同時に各プレイヤーの行動も分かってしまうのですが。ここからは「対象がよくわからないホラー」から「怖がる対象が明確なホラー」へと変わります。


この曖昧な恐怖と明確な恐怖の転換を、本作品を前半後半を分けるための指標とすると、私は前半の方が好きです。どこか怪しい雰囲気が好奇心を湧かせ、ページをめくる手が止まりませんでした。「どうせこの作家のことだから性格が悪すぎるやつが何かするんだろうなぁ」とは思っているものの、誰がするかも分からないことがぞっとさせ、びっくりするくらいの興奮を呼びました。ここまで興奮したのは本当にあまりありません。
このルールが分かっていない状況で小出しに、ただし明確なルールが段階的に提示されることも物語に輪郭を持たせ、話にのめり込んでいくことに多大な影響を与えています。新しいルールがわかるたびに各プレイヤーの行動を推測し直して展開を読むという楽しみもあるからでしょうか。



■見える伏線
本作品には伏線が見えるという特色があります。伏線が見えるという意味は、例でいうと「この先でだれかが死にます。その先でだれかが裏切ります。その先で」というように、ある程度の輪郭だけが提示されるもののその詳細が、大事な部分だけが提示されていない伏線です。
この伏線が大量なので展開が予想でき、そういった意味で本作品は展開が非常に単純な感があります。そのせいか、本来の見えない伏線だけなら再読も楽しめるものの、本作品のようにあからさまに見える伏線は再読には耐えません。一度きりの燃え上がる興奮を起こすことに特化しているという印象を受けました。


この見える伏線は作品の結末までも見せます。その伏線が張られた時点で結末が完全に予想できます。この点は賛否両論なのではないでしょうか。それでも私は結末に対して悪い印象は受けませんでしたが驚きはありませんでした。エンディングがすべてに優先する小説ではないと捉えていたために期待もしていなかったからかもしれません。


ただ全体的には見える伏線は物語に良い影響を与えています。特に見える伏線が効果的だった場面は、最初で最後にプレイヤーが一堂に会した場所を起点として組になって東南西北に向かい別れるという場面です。東南西北にそれぞれ別の性質を持ったアイテムが置いてあるというルールの開示を元にして分かれるのですが、どの性質を欲しがるかによってプレイヤーの性質を読めるという助言が、別れたあとに主人公たちだけに提示されます。ここであるアイテムを求めた人物に対する助言がぞくっとさせられました。それは今後の展開が波乱に満ちたものであるという予想を増大させた場面です。


こうした見える伏線を小出しに与えて気を惹き付ける方法が感心するほど絶妙なことが、私が本作品を傑作であると思う印象に並々ならぬ影響を与えています。こうしたテクニックが好きな人にとっては間違いなくフィットするのではないかと。


■圧倒される残酷な人間の描写
本作品のジャンルは一応ホラーに属するのですが、ホラーで重要なポイントは当然ながら恐怖を起こす描写です。
本作品の登場人物の人格造形とその物語に対する関わり方を見ると、『黒い家』と同じく、いやに老獪で残酷な性格を持った人間が場を恐怖に導きます。この場を恐怖に覆わせる人物の描写とそれに由来する恐怖感を起こす技術は、私が知っている小説家のなかでもトップクラスに属します。
殺す様子を強調して描写するものの、少しも感情を隆起させない残酷描写をする小説はいくらでもあります。ただ冗長に説明をするだけの小説では恐怖感が起きたことはありません。長いことや細かいことだけでは読者に恐怖感を覚えさせるのは難しいのです。
貴志祐介は残酷なことを残酷に伝える、描写に情感を持たせて読者に伝わらせることができる珍しい作家です。そういった意味で飛び抜けた実力があるのは間違いありません。
この原因はなにかといえば、殺す描写ではなく殺人者の現実的な人格と異質さを微妙なバランスでうまく描くことに注力していることでしょうか。話の中にはいかにもフィクションチックだな、と思う人物はいません。確かにこんなやついるなと思える人物に殺人を犯させる、その現実と非現実の隔たりの曖昧さが読者の心に作用するのだろうと思います。