知性の限界

知性の限界 / 高橋昌一郎

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

本書が扱うのは3つの限界、言語の限界、予測の限界、思考の限界です。3つの詳細はこんな感じ。


言語の限界
哲学者:ウィトゲンシュタインクワイン
議題:言語理解のパラドクス、言語ゲーム、指示の不可測性


予測の限界
哲学者:ポパー、ナイト
議題:帰納法のパラドクス、反証主義、予測の不確実性、未来予測の限界と可能性、複雑系


思考の限界
哲学者:ファイヤアーベント、カント
議題:人間原理、知のアナーキズム、不可知性、人間思考の限界と可能性



本書の最も際だった特徴は2つ。学問の多面性を扱ったこととその読みやすさです。


■学問の多面性
1つめの学問の多面性を扱ったことから説明します。
本書は、論考が多彩な登場人物が繰り広げるディベート形式で進められます。著者の一人芝居とはいえ、哲学者、論理実証主義者、反証主義者、経済学者、科学者、普通の学生、社会人のキャラクターを見事に創り上げられていることには関心します。


議論の話題を提供する学者キャラクタが語る内容は一見どれも瑕疵のない真理のようにも見えます。これだけだったら普通の本でも見られることでしょう。しかし本書では、その一見正しいように見える全ての意見が、実はツッコミどころがあることを分かりやすく露呈させます。


会社員や学生といったなにも特別な知識のない立場からの「普通な疑問」を別の反論者がキャッチし、話題提供者を反駁する。そうすることによってウィトゲンシュタインポパーなどの「完全無欠の」証明が、「限定的に」正しい証明に過ぎないことがよくわかるのですが、この点が類書にない稀有なポイントです。


■一般人目線のディベート
2つめの特徴の読みやすさのポイントは、一般人目線を取り入れたディベート形式ということです。
一般人も混ざったディベートということで、各登場人物が使う言葉は本当にごく普通の言葉であり、専門用語を誰もがすんなり理解できるという前提で議論は進みません。誰もが分かる言葉で進められるのです。
実はこのことは凄いです。難しいことをそのまま難しく書くのは普通のことでしかありません。しかし難解なことを簡単な普通の言葉にするのは、本当に難しいことだからです。この普通の言葉によって説明される事柄はわかりやすいですし、共感もしやすいのです。


読みやすさに貢献しているものとしてもう一つ。。
取り上げられる学問が私たち一般人の生活とどのように結びついているか砕いて考える間があることや、過激な論者が振り回す極論を司会者が遮ったり、否定し合いのディベートの混乱具合を見る喜劇的な面白さは本書全体の流れに緩急を持たせています。特にカント主義者のぞんざいな扱いとか、フランス国粋主義者の空気の読めなさなどはユーモアに溢れていますが、現実でもそうなのかと興味も湧きます。


こういった読みやすさの配慮をみると、象牙の塔と評されやすい学問を現実と結びつけ、一般人の読者にも学問とは現実と乖離したものではない役立つものであるとわかってほしい、という考えが著者にあるのではないかと思いました。


■知識の闇鍋もの
ところで、私はこういった知識、学問の闇鍋ものは大好きです。


本書でも挙げられているウィトゲンシュタインやカント、複雑系は有名な人物・事象であり、その専門的な内容を説明した本は決して少なくないです。そのため、例えばウィトゲンシュタイン哲学の前期・後期の詳細な研究内容について調べるなど、「深く狭く」は比較的楽にできるのです。
しかし、逆、つまり「浅く広く」はどうかというと、ある段階を超えると少ないものです。ある哲学者の全体、言語哲学の全体、哲学者の全体というのはあります。ですが哲学を超えて科学(自然科学)も含めたものになると数が少ないのです。だからこそ、本書のような哲学から科学まで詰め込んだ、ごった煮のような闇鍋のようなジャンルを「広く」扱った本は貴重なのではないでしょうか。


読了感を振り返ってみると読書意欲が急伸したように思いました。知識の闇鍋ものを書き上げるには、その広範囲な対象を飲み込むための貪欲さと、それら学問に緻密な掛け橋を作るための労力が必要です。結果、著者自身に学問への熱情が不可欠となり、その熱情が読者を思索へ煽り立てるように感じるのです。そして私はその熱気に煽られるのが好きで仕方ありません。ついつい、本の中で言及されているような研究やそれに類するものを何冊かだけでも読んでみるか、という気になってしまいました。